同志社大学ボート部の歴史
同志社大学ボート部は明治24年に端艇部として成立した同志社大学の中では最も古いクラブの一つである。
明治32年の大日本聯合端艇競漕大会で優勝、大正14年の全日本レガッタで準優勝。そして昭和に入り、スライディング式の艇に変わってからは徹底したエイト中心主義を貫き、関西のトップクラスで活躍してきた。全日本クラスの大会成績は今ひとつ物足りないものがあったが、昭和37年に大津市瀬田に合宿所ができるとそれまでの先輩方の鬱憤を晴らすかのように実力が向上し、41年の全日本選手権で3位にはいったのを皮切りに42年に同選手権で2位、43年には慶応義塾大学を僅差で破り悲願の初優勝を成し遂げた。これは関西勢としての全日本エイト初優勝でもある。その際、我が国のボート史上2位のタイムを出した同志社クルーは、メキシコオリンピックに出場するという栄誉に輝いた。オリンピックでは力漕むなしく最下位という結果に終わってしまったが、翌年の44年にはメルボルン大学を招いての全日本選手権で他のクルーをよせつけないレース展開で見事に2連覇を達成。ボートは関東だけのものではないことを同志社エイトは証明したのである。
その後も48年には全日本選手権で3回目の優勝、49年には3位、50年には全日本大学選手権で3位の成績を残している。朝日レガッタにおいても44、46、52年にエイトで優勝しているが、関東での成績は良くなく、以後、関西においても決勝進出がやっとという低迷期が続く。
復活の兆しが見え始めていた同志社大学ボート部は平成3年に創部100周年をむかえる。これを記念に英国のヘンリー・ロイヤル・レガッタに出漕。10年には新監督・コーチの新体制が発足し、13年には全日本選手権において舵手なしフォアで優勝。17年には100周年事業の延長として老朽化していた艇庫を改築する。現在は創部120周年をむかえる平成23年の全日本大学選手権でのエイト優勝にむけて技術・体力面での向上に努めている。また21年には、合宿所の新築も予定されている。
同志社大学ボート部の歴史の詳細
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